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由緒 御祭神
(右)天明5年4月(1785)19代小泉信濃守従五位下藤原政俊、2代将軍徳川秀忠より寄進 御祭神
玉依姫命(タマヨリヒメノミコト) 安産、商売繁盛、方位除,他 神功皇后(ジングウコウゴウ) 安産、合格、厄除.他 応神天皇(オウジンテンノウ) 成功・勝利、交通安全、病気平癒.他 配祀神 伊奘再命(イザナギノミコト) 事解男命(コトシロノオノミコト) 速玉男命(ハヤタマノオノミコト) 天照皇太神(アマテラスオオミカミ) 国常立命(クニトコタチノミコト) 倉稲魂命(ウガノミタマノミコト) 日本武尊(ヤマトタケルノミコト) 天満大神(テンマンダイジン) 奥津島姫命(オキツシマヒメノミコト) 由緒
源頼義が奥羽二国の征討将軍として遠征の途についたのが康平元年(1058)平安時代の中頃でした。 当時奥羽二国は全くの未開の地で、殊に兇暴の聞こえが高かった地方へ向かって行くのですから、これ程危険な事は無く、大きな冒険でした。 そこで、崇敬の厚かった鎌倉八幡宮の御加護を頂く為に「この度の使命を果たす事が出来ましたら鎌倉から奥州へ行く街道十里(40km)毎に八幡祠一社ずつを造りますと誓いをたてて、当神社の地が丁度第一次の里程になっていましたので山上高く幣帛を捧げて祈願を込めました。 この誠心が神に通じ無事使命を果たして帰る事が出来ましたので康平4年(1061)に当神社を奏祠したのです。 それから暫く乱戦が続いて国内の乱れと共に神社も荒れたままでしたが、源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、祖先の事歴を調べて建久3年(1192)に当神社を再建し、鎌倉八幡宮から御霊分けし、源栄山八幡宮と称される様になりました。 その頃、稲毛三郎重成が桝杉山に居を構えて、この土地の領主となり、当神社は稲毛領57ヶ村の総鎮守となりました。 天正19年(1591)、関八州の太守となった徳川家康に朱印地70石を寄進されました。 当時、朱印地10石は1万石の大名に相当する格付けでしたので、いかに大きな保護を受けたか分かります。 現在御社殿にかかっている額面に「稲毛惣社」と印されています。 本殿に鎮座されている御神像は享保12年(1727)に奉彫されたものです。 明治6年郷社に列せられ白幡八幡大神と称せられ現在に至っております。 なお現在の御社殿は昭和48年10月に再建されました。 事歴年表
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