1月
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1月1日
歳旦祭【さいたんさい】
3月
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3月の初卯日
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八幡講と呼ばれ3月初卯の日に行われますが、その日には藁で作った大蛇を鳥居に
飾ります。
大蛇は長さ1丈(約3米)で角は牛蒡、舌は人参を2つに裂き、目は八つ頭で作ります。
なお、尾の辺りに木で作った剣を立てます。
このお祭の大きな行事は4講中(日向、日陰、上、下)に分かれて大蛇を作る事と、的を作る事、各講中に分かれての「お高もり」でしたが、現在では「お高もり」は神様に供えるだけです。
当番帳は享保7年(1722)、同18年(1848)、嘉永2年(1848)、明治18年(1885)のが残っていますが、現在は昭和44年(1969)の物を使っています。
新編武蔵風土記には「例祭は二月初の卯の日と定め、社前に於いて射術の式あり、尤其形ばかりかな」と記されていますが明治中頃から3月になりました。
「的」は葭を潰し網代に編み和紙を貼って作ります。
大小2つを作り「大的」を使い、「小的」は神前に供えます。
弓は5尺2寸の桃の木を使い、矢は矢竹を使います。
いずれも2組ずつ作って、射手は5歳未満の長男2名が選ばれ、それぞれ介添えがつ
いて的をめがけて射、五穀豊穣を願います。
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3月の初午日
稲荷社祭(稲荷講)
7月
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7月第3日曜日
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<川崎市文化財 川崎市 市重要習俗技芸指定>
新編武蔵風土記稿の神主小泉家について記された中に「村内の八幡・神明・五所稲荷などの神職を兼務・・・。近村神主少なきゆえ何れの村に祭りある毎に、必ず信濃に託して今の俗に用ゆる所の十二座及び五座等の神楽を行えり」とあって、この五座の舞が禰宜舞です。
舞の起源ははっきりしませんが、慶長五年(1600)徳川家康関ヶ原御出陣の際、戦勝御祈願の為、平村白幡八幡社の神主小泉に太々神楽を興行させたのが始まりと言われ、今日に伝わっています。
江戸初期には正月3日、江戸城に上り将軍の前で舞ったと言われています。
現在では各神社の夏祭・例大祭に氏子皆様の家内安全を願い奉納されています。舞は素面による四方祓の舞の後、面と衣裳を取替えて五座の神々の舞を行います。この禰宜舞は一子相伝にて伝えられ、舞われています。
9月
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9月1日
風祭(天災等厄除祈願祭)
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9月例大祭前日
宵宮祭【よいみやさい】
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9月第3日曜日
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<川崎市文化財 川崎市 市重要習俗技芸指定>
新編武蔵風土記稿の神主小泉家について記された中に「村内の八幡・神明・五所稲荷などの神職を兼務・・・。近村神主少なきゆえ何れの村に祭りある毎に、必ず信濃に託して今の俗に用ゆる所の十二座及び五座等の神楽を行えり」とあって、この五座の舞が禰宜舞です。
舞の起源ははっきりしませんが、慶長五年(1600)徳川家康関ヶ原御出陣の際、戦勝御祈願の為、平村白幡八幡社の神主小泉に太々神楽を興行させたのが始まりと言われ、今日に伝わっています。
江戸初期には正月3日、江戸城に上り将軍の前で舞ったと言われています。
現在では各神社の夏祭・例大祭に氏子皆様の家内安全を願い奉納されています。舞は素面による四方祓の舞の後、面と衣裳を取替えて五座の神々の舞を行います。この禰宜舞は一子相伝にて伝えられ、舞われています。
11月
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11月15日
七五三祈願祭
12月
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12月31日
大祓祭